もう暗くなってしまった部屋の隅で熱帯魚の水槽だけがぼうっと水色に光り、白い壁に浮かんでいるよう。バルコニーの窓から暮れていく空をぼうっと眺めながら過ごしていた私。空はもうすっかり黒い。背中が少し寒くなってはじめて私は夜が来たことを知った。
水槽の熱帯魚を見て彼はよくこういったっけ。
「魚はさぁ、水の中で呼吸するだろ、だから水質管理が大事なんだよな」
熱帯魚を飼うのは私のほうが凝っていたのに、男の人はすぐに私なんか飛び越していく。男って本当に凝り性の子供だ、と思った。
「水が魚にとって大事なように、人間には空気が大事なんだよな」
勝手に彼が部屋へ出入りするようになってしばらく経ったある日、そんなことを言いながら電気店の大きな包みを手にやってきた。中身は空気清浄機。
「これってすごいんだぜ、なんたって空気を清浄してくれるんだからなぁ、やっぱりキレイな空気吸わなきゃ!」
もともと気管支が弱い私を気づかってくれているのなら、私の部屋で煙草を吸うのをやめてくれるだけでよかったのに。それだけで咳こむこともなかったのに。その日は私の誕生日だったのにな。
それとも言い出せなかった私が悪いのかな。
ぼうっと浮かび上がった水槽。白い壁。寒い背中。静かな部屋に私はひとり。もう咳こむこともないのね。そう思うと、また涙があふれてきた。咳、もうしなくて済むから嬉しいのに、どうしてかな。ひくひく。声に出したくないのに、我慢できないよう。
――ぶうぅん。
部屋の隅で空気清浄機だけが響いてくれていた。
―了―